去る令和8年3月8日の日曜日
小田原城址「総構」遺構(一周凡そ9km)を歩く定例のイベントを開催致しました。
当日は朝から天気にも恵まれ事前告知の甲斐もあり150人弱の参加者にお越しいただきました。
📷️午前9時〜小田原駅西口より出発
北東方向の「井細田口」へ向かいます。
📷️「井細田口」にて
竹の花広小路よりクランク状に折れ曲がった道を境に
小田原城「府内」「府外」になります。
当時、渋取り川を浚渫拡幅され、ここより南の「江戸口見附」まで
「水堀」が造られていました
説明を聞く皆さんの足元を暗渠化された「水堀」渋取り川が
流れています。
📷️渋取り川開渠部にて「渋取り川」の名前の由来の説明を聞きます。
📷️渋取り川暗渠に沿って途中説明を挟みながら進みます。
唯一土塁が確認できる部分です。
太平洋戦争最末期に爆撃にて空いた窪地が残ります。
📷️江戸口見附手前、水堀部の最も幅の広かった部分にて
埋め立てられ色街が造られました。
📷️江戸口見附跡の前を国道1号線が走ります、皆で陸橋を渡ります。
箱根の山並みは雲一つありません。
📷️北条稲荷「総構山王口」にて
北条氏康と狐の伝承の説明を聞きます。
📷️幕末、小田原海岸には伊豆の韮山代官江川英龍二より3基の砲台場が築かれました。
江川氏はその後、江戸湾の砲台場建設にも携わります。
台場そのものは在りませんが地形の僅かな曲がり方や
盛り上がりにその痕跡が伺えます。
📷️早川河口左岸にも砲台場がありました。
📷️早川河口右岸の小田原漁港にて昼食休憩。
📷️午後は「早川口二重戸張」から始まります。
📷️「ぶらタモリ」お馴染みの「早川河岸段丘跡」を利用した
二重に防御を構えた土塁がありました。
車2台分の変な区割りは「虎口」の名残りです。
📷️「本物の」石垣と「偽物の」石垣の「見分け方」のレクチャーです。
📷️「二重戸張」内側へ入ります。
📷️国道1号線を跨ぎ、「板橋見附」「小田原用水」「早川上水」の説明です。
📷️「鉄砲矢場跡」を経て「三の丸外郭新堀土塁跡」を登ります。
📷️絶好のロケーションです。
向かいの「太閤一夜城跡」や西相模湾には伊豆大島迄見渡せます。
📷️ぼちぼち日も傾きだしました。
「小峰御鐘ノ台大堀切」より東堀、西堀から丹沢山系大山迄見渡せます。
「総構」土塁と空堀のスケールの大きさが体感できます。
📷️TVに小田原城が紹介されると必ず映る「大堀切」です。
📷️「稲荷森堀切」大きく湾曲した遺構に皆さん驚いていました。
📷️「山ノ神堀切」です。
外側に向けられた西堀と尾根を断ち切る堀切が縦横に走る所です。
📷️「総構」内側の尾根筋を東に向かう途中、小田原城天守閣が彼方に見えます。
📷️「ぶらタモリ」お馴染みポイント「城下張出」です。
📷️「城下張出」を下から見上げます。
矢張り皆さんTVで紹介された場所だと食いつき方が違います。
📷️「史跡標柱」「総構」「荻窪口門」が構えられていた場所です。
小田原北条時代にはこの門を抜け甲州へ向かう「甲州道」があったと思われます。
「虎口」の要件を満たし、すぐ近くには道祖神が置かれています。
直上には見張り櫓の痕跡も確認されています。
📷️午後五時丁度、スタート地点の「井細田口」迄戻りました。
日本の根幹には各地の城下町あり
城下町には「総構」あり
「総構」の大本は小田原にあり
と云う〆となりました。
当日、ご参加頂きました皆様、約8時間の長丁場にお付き合い頂き
ありがとうございました。
此方ではその都度、総構の整備状況やイベントの案内を致しますので
よろしくお願い申し上げます。















































